一生に一度は行ってみたい世界遺産をみんなで書いていくページです。


一生のうちで一度は行ってみたい!行くべき!世界遺産

アンコール遺跡群 (カンボジアの世界遺産)

  • 投稿者:吉岡美加子
アンコール遺跡群は現在のカンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡のことをいいます。
数百年もの間、密林にひっそりとたたずんでいたアンコール遺跡は、600年以上の繁栄を保ち、最盛期には20万人もの人口を抱えたアンコール王朝が生み出した建造物群です。大小あわせると600にも上る遺跡の数は、「神の化身」である王者たちが、神の世を地上に出現させるため次々と寺院や王宮を造営した結果。王室の庇護の下、無数の無名の職人達が腕を競い合うように均整のとれた建築、仏像や彫像、神々や天女(アプサラ)、そして庶民の生活を活写した浮き彫りを残しました。神聖かつ美術的、民俗学的価値の高いこれらの遺跡群は生きた博物館・美術館として訪れる者を魅了します。
初期の王朝ではヒンズー教が主体で、寺院にもヒンズー教の伝説や神々が登場します。その最高到達点ともいえるのが、12世紀前半に造営されたアンコール・ワット。後期に入ると、平和を願う大乗仏教が勢いを増し、観世音菩薩など仏教のモチーフが登場。こちらの代表格が、12世紀後半に作られたアンコール・トム(バイヨン)です。ヒンズー教と仏教が混在した広大な遺跡群はこうして誕生しましたが、王族の中でも宗教戦争は激しく行われていました。15世紀にタイに攻め落とされたのち、王都はそのままうち捨てられました。アンコール・ワットだけは近隣の人々の信仰を集めていたと言われますが、繁殖力の強い熱帯のジャングルはあっという間に遺跡群を覆い尽くします。この遺跡が世に知られるようになったのは、19世紀後半、フランス人アンリ・ムオーが旅行記で紹介してからです。その後は遺跡調査や修復活動がすすめられますが、国内の戦乱が長引きしばしば中断を余儀なくされた上、一時はポル・ポト派の拠点となったため人が入ることができず、さらに銃弾によって柱が傷つけられるなど遺跡は危機に瀕しました。内戦終結後も厳しい自然環境、さらに地雷の存在が作業を阻みます。1992年には世界遺産に登録され、同時に存続の危機に瀕した「危機遺産」にも登録。内外の保護活動への意識は飛躍的に高まり、日本やフランスなど各国の援助もあって2004年には危機遺産の登録からは外されるまでに至りました。
現在は、カンボジアの人々のアイデンティティ、そしてカンボジアのシンボルとして世界の観光客を惹きつけています。
アンコール・ワット遺跡
自然が遺跡を浸食し、長い歴史を感じさせる光景
アンコール・トムのバイヨン寺院
この世界遺産に行ったことがある人からのアドバイス
  • 行くのにベストシーズンは乾期(3月〜12月)カンボジアは熱帯にあるため、雨期に訪れると大変。シーズンは選んだ方がいい(投稿者 :栗原真紀子)
  • 周囲の密林の木が遺跡を浸食したり、長い年月で遺跡が脆くなっていて危機遺産からは外れたが今も崩壊の危機にはさらされている。(だから、早く行きたいんですー。)(投稿者 :清水芹夏)
  • アンコール遺跡はかなり広大で、全部の遺跡を見て回ろうとすると、2日はかかるぐらい見所がいっぱいある。(投稿者 :小椋悟)
  • まさに圧巻でした。 一生に一度はぜったいに行くべき!。5月で40度くらいあって、コンディションはあまりよくない時期だったけど、オフシーズンだったみたいでスムーズに観ることができました(投稿者 :大木良文)


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ペトラ遺跡郡(ヨルダンの世界遺産)

  • 投稿者:日野洋介
紀元前1200年というはるかな古代から、この地にはエドム人が暮らしていたと考えられているが、情報源の旧約聖書の内容からは詳細は伝わってこない。紀元前1世紀頃から、その後のペトラを繁栄へと導くナバテア人が移り住んできたらしい。ナバテア人は貿易によって富を得ていたが、ローマの支配下に置かれることとなり、遺跡として残る多くのローマ建造物はこの時代に建てられたものである。
ペトラは、ローマの支配下には入っても、税を納めることで自治を認められていたが、紀元後2世紀初頭に起こった反乱をきっかけに全面降伏し、ローマの属州となった。
その後、ヨーロッパやアラブ・西アジアの他地域同様、キリスト教やイスラム教の影響を受けて、文化的にも政治的にも変化が続いたが、ペトラは細々と都市として機能しつづけていた。
しかし、769年の大地震によって廃墟となったといわれている。
12世紀に入り、十字軍が要塞を築いたことはあったが、その後はベドウィンが閉鎖的に暮らす地域として、外界との接触を断った状態が長く続くことになった。ペトラの名が遺跡として世界に再び知られることになったのは、19世紀に入ってからのことである。


ペトラ遺跡正面
王家の墓
ローマの支配のあった証拠のローマ式劇場が残っている
この世界遺産に行ったことがある人からのアドバイス
  • 日本からの直行便もないので、行くのにはなかなか大変な場所。だけど一見の価値はある。ヨルダンの首都アンマンから4時間かけてペトラ遺跡近くの村へと辿り着ける。最短でも日本からなら4時間かかる。遺跡を見て、その空気に触れれば、20時間なんて時間は必要な時間だったと気付くと思います。(投稿者:橋本愛)
  • 乾燥と暑さ注意してほしい。休憩が途中取れるけれど、遺跡はかなり広く、お店も周囲にはない砂漠のため、十分に水を持って行ってください。ものすごく日光も強いので、暑いからといって半袖半ズボンでいくと後悔します。僕のように・・・。(投稿者 :水谷繁)
  • 地形をくりぬいてコツコツと造られたペトラ遺跡。もっとも美しいのは夕日を浴びた瞬間だと思います。赤みを帯びた岩が夕日に染まって、さらに真っ赤に美しく影とのコントラストを作り出します。(投稿者 :濱崎唯香)

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サガルマータ国立公園 (ネパールの世界遺産)

  • 投稿者:河原大輝
サガルマータ国立公園は名前をあんまり知ってる人はいないと思うけど、ヒマラヤ山脈に位置する国立公園のことなんです。皆さんこう言えばわかると思います。世界の屋根と呼ばれる8000m級の山々をこの国立公園が含んでいるのです。山岳地帯の世界遺産なので、山が大好きな私は一度は訪れてみたい場所であります。
サガルマータとは、ネパール語でのエベレストのこと。「世界の頂上」というまさしくな名前です。
エベレストに登ったことのある人は世界中で、3000人程います。頂上までは約8,840mですが、途中の6000mまでは、
難所なども無いため、高山病に気をつけさえすれば、私のような登山好き程度の観光客でもエベレストをトレッキングすることができるのだそうです。山登りは最近の流行りであるためツアーを企画している旅行会社も幾つかあるので、それに参加してもいいのかも。
行くのには結構時間がかかるよう。この国立公園のある地帯には、車道が無いそうなので近くの集落まで、移動してから、徒歩で国立公園向かうことになるそう。空港があって飛行機で移動ができるそうなので、その方法が一番時間が短縮できるかな。

大陸の衝突でできたというヒマラヤ山脈

4500万年前に動いていた大陸が衝突、その衝撃で海底が隆起して、このヒマラヤ山脈ができたそう。その証拠として、山頂付近からはアンモナイトや、ウミユリの海の生き物の化石が発見されるのだとか。
国立公園なので、野生の動物が多く生息していて、雪ヒョウや、ジャコウジカなどの絶滅危惧種、希少な動植物がいるそうです。運が良ければ見ることができるのかも!

ヒマラヤの尾根
ヒマラヤへの経由地 カトマンズ
この世界遺産に行ったことがある人からのアドバイス
  • サガルマータ国立公園でトレッキングをしたいなら10月から5月にかけての乾季がオススメの時期。雨季は天候が安定せず、飛行機の欠航も多くなります。服装は、保温性がある下着+長袖シャツ数枚+ウールのセーター+ダウンジャケットなど、山に登る用の素材で、保温性が高く温度調節ができる服を重ねてきて、服に着脱で、温度調整するといいですよ。シューズは、トレッキングシューズか登山靴が必須!!高知で、紫外線も強いので、日焼け止めやサングラス、帽子など紫外線対策グッズは忘れないようにしてください(投稿者:小島春彦)
  • 高山病に注意。ここで高山病になってしまうとかなり大変。レスキューが早々にこれる場所でもないので、心配な方は、病院に行って高山病用の薬をもらうという手もあります。とにかく過酷な土地なので、下準備はしっかりと!!(投稿者 :森朋美)


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イスタンブールの歴史地域(トルコ共和国の世界遺産)

  • 投稿者:赤坂奈美
トルコ共和国の首都イスタンブールの旧市街地にある、歴史的建造物郡のある地域のことです。世界史でぼんやりと学んだような覚えがありますが、ビザンツ帝国と、オスマン帝国の都として作られ、今もその形を残す、とても歴史のある街並みです。
有名な建物としては、トプカプ宮殿や、アヤソフィア、ブルーモスクと言われる、スルタンアフメト・モスクなどですね。全部見たい建物です。
私が興味があるのは、「バシリカ・シスタン」と呼ばれる遺跡「イスタンブールの地下宮殿」とも呼ばれていて、昔は貯水槽として使用されていたそうです。
東ローマ帝国時代、皇帝ユスティニアヌスにより建設されたものらしいのですが、78000リットルの水が溜められる貯水槽です。貯水槽なのに綺麗な円柱や、大理石で作られたレリーフなど、まさに富と権力があるものが作ったといった様相の美しい空間を写真で見て是非行ってみてみたいと考えています。ここには謎が一つ、そもそも78000リットルの水をどこから運んだのか?これがまだ解明されてないそう。
アヤソフィア
東ローマ時代に建てられたキリスト教の大聖堂だったものが、イスタンブールがオスマン帝国の支配下となった15世紀から、イスラム教のモスクとして使われるようになったのだそう。まさに文化の入り混じるイスタンブールらしい歴史を持った建物。ここも見たみたいなー。
ブルーモスク
アヤソフィアの向かいに建つのがイスタンブールの中で最も有名な建物の一つ、ブルーモスク「スルタンアフメット・モスク」です。ブルーモスクという名前からわかるように、内部は青いタイルで飾られて、ステンドグラスも青く、幻想的な装飾が施されているんです。女性なら、この装飾はみんな絶対好き!アラビア調の美しいこのモスクも見に行きたいスポットです。


バシリカ・シスタン
アヤソフィア
スルタンアフメト・モスク
この世界遺産に行ったことがある人からのアドバイス
  • ブルーモスクは観光地でもあるけれど現地のイスラム教の方々のお祈りの場でもあるから、マナーには気を配るようにしてください。女性は特に肌を露出しすぎたりしないように。写真も撮って大丈夫だけど、礼拝者には向けちゃダメです。(投稿者:加藤唯)
  • トルコ人はイタリア人なみにくどき上手!イスラムの国だから、女性は貞淑、貞操を守ることが必須とされています。だから外国人の女性に手を出そうとしてくるんですね。女性だけの旅は気をつけて下さい。(投稿者 :清原真麻)
  • イスラム教には断食月があります。朝の日の出から、日の入りまで飲食を絶つんですが、やっぱりみんな飲み食いをしないので、気を使います。
夜の日の出後になるとイフタルと呼ばれる断食明けがあってみんながレストランに向かいます。レストランも込み合うので早めにご飯を食べるのがいいと思います。(塚原賢治)



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エルサレムの旧市街とその城壁群(イスラエルの世界遺産)

  • 投稿者:栗原由紀
エルサレムは世界の3つの宗教「キリスト教」「イスラム教」「ユダヤ教」の聖地です。この3つの宗教の信者は世界中35億人もいると言われています。それぞれの宗教の聖地なのでそれぞれの信者が、一度は訪れたいと思っている
聖地なのです。エルサレムには約80万人の人が生活しているそうですが、街は旧市街と、新市街に別れています。
キリスト教、イスラム教は、ユダヤ教の流れから発生した宗教です。だから、キリスト教とイスラム教が信じ、信仰してる神とは同じ存在であると言えます。これら宗教の大切な場所が旧市街地にあります。ユダヤ教の「嘆きの壁」ここはエルサレム神殿と呼ばれる今は破壊されてしまったユダヤ教の神殿の一部が残っていて、ユダヤ教の方々の聖地になっています。キリスト教の「聖墳墓教会」ここは、イエスキリストが処刑された後、埋葬されたその三日後、復活をしたとされる聖地があります。イスラム教の「岩のドーム」ここはイスラム教の預言者ムハンマドが、昇天したとされる場所に建てられた聖地です。3つの宗教は実は歴史を同じくして生まれ、国や民族によって複雑になりながら、長い歴史を紡いでいるのです。今はテロや世界情勢が複雑に絡み合い、3つの宗教はばらばらになってしまっていますが、別に宗教同士で争いあっているわけではありません。それぞれの宗教の根底にあるのは同じ、みんなが幸せになりますように、という考えなのだと思います。

いろいろな人種が住む町
このエルサレムはやはり3つの宗教の聖地だけあって、いろいろな人種の人が住んでいて、色々な文化や、街並みを見ることができるのもポイントです。ユダヤ人、アラブ人、アルメニア人、キリスト教徒のいろいろな人種の人々が住んでいます。やはり世界中から巡礼者が集まるので、祈りと活気に満ちた楽しい街なようです。その土地の文化だけでなく、宗教という人の心に根ざすものの違いでも文化は変わる。そんな歴史と、人々が混じり合った街を訪れてみたいと考えて投稿しました。

岩のドーム
エルサレムの旧市街地
旧市街地のとある通路
この世界遺産に行ったことがある人からのアドバイス

  • 夜のエルサレムも活気があってとてもエキゾチック。ぜひ外を歩いてみてほしい。ただし人が多いからといって治安がいいわけではありませんので十分に注意してください。(投稿者:高橋麻由)
  • 町の教区によって物価がかなり変わります。アラブ人地区は物価が安かったけど、キリスト教区はレストランとか結構高いなって思いました。これも文化の差なのかな。(投稿者 :水谷宏)

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